一 昔の子ども 暮らしと遊び


  山のくだもの

 昔は、どこの家でも子どもが多く、生活も貧しかったので、おやつと言えば柿の皮やいもぼし
くらいのものでした。
食べざかりの子どもたちは、とてもこれだけでは足りません。
ですから、子どもたちは野山にみのるくだものをあさって歩きました。

 遠山は山が高く、谷が深いので、四季おりおりのくだものがたくさんあります。
そのおもなものをあげてみましょう。
やまぐり、ようどめ、すなし、いちご、やまぶどう、こくわ、こなし、えのみ、あけび、こがき
などです。

 山の子どもたちにとって、このくだものは大切なものでした。
山や谷をかけめぐって、汗を流し、くだものをほおばる喜び、そしてそのことから物の大切さも
知ったのです。
 いまは物が豊かで、たくさんある山のくだものも、すっかり忘れられてしまいました。
お金さえあればもっとおいしいくだものがお店で手にはいるからです。

 

  手づくりのおもちゃ

子どものおもちゃもそうですが、いまのこどもは親からお金を出してもらって買ってもらって
います。昔の子どもたちは、親に買ってもらえなかったから、みんな自分で作って遊びました。
それも身のまわりにあるいろいろのものを工夫して、おもちゃを作ったのです。

 手づくりのおもちゃはたくさんありましたが、そのいくつかをあげてみます。
たけとんぼ、くさぶえ、水でっぽう、かみでっぽう、竹うま、竹そり、こま、かみひこうき、お
めん、虫かご、これは主として男の子が作ったものです。

 女の子は、ままごとのどうぐ、あやとり、いしなご、ささぶね、おりがみなどを作って遊びま
した。

男の子も女の子も、みんな苦労して自分で作ったので、おもちゃはとても大事にしていました。
たとえうまくできなくても、作る喜びと楽しさ、それが山の子たちの夢を大きく育てたのです。

 世の中がたいへん便利になって、もう手づくりのおもちゃも子どもたちの手から消えてしまい
ました。
でも、いまのおもちゃは、きれいで美しく、りっぱにできてはいますが、どれを見てもみんなき
かいで作られたものばかりです。
昔の子どもたちが作った手づくりのおもちゃには、作った子どもの心がこめられておりました。

 

  遊びの心

 アリジゴクのことを、子どもたちはテッコハッコと呼んでいました。
アリジゴクは、みなさんもよく知っているとは思いますが、お寺のえんの下などに、すりばちのよ
うな巣を作り、いつもあなの中に姿をかくしています。

寄ってきたアリが、このあなの中に落ち込むと、それを捕らえて食べるのです。
 アリジゴクと遊ぶのは、たいてい男の子のほうで、「テッコハッコ出てこいよ。うまいもんやる
ぞ。」と言いながら細い棒であなの底をつつきます。
 すると、アリジゴクは獲物だと思って、棒の先にくらいつきます。
そこをすかさずつかまえてしまいます。


 一方、女の子はお地ぞうさんの前で、むしろをしいてママゴト遊びをはじめます。
赤いマンマの材料は、道ばたで摘んできた犬タデの花です。
おもちにつくのはヨモギの葉です。
そのほか、いろいろの花や草を摘んできてごちそうを作ります。
いまも、よく地ぞうさんの台石に丸くくぼんだあなを見ますが、女の子たちがごちそうを作るために、
小石でトントンとついた跡なのです。
 昔、昔のおばあさんも、おかあさんたちも、子どものころは
このようにママゴトをして遊んだのです。
ごちそうができますと、女の子はうたいます。
「地ぞうさん。地ぞうさん、おあがりよ。チイチのマンマはうんまいに。草のおもちもおあがりよ。」
それがすむと、仲間どうしでごちそうくばりをして仲よく遊びました。

 

  水あべ

遠山川も子どもたちの楽しい遊び場でした。
ダムができる前の川は、それはそれは美しい流れでした。
子どもたちは、この澄んだ流れで魚とりをしたり、夏になると水あべをして遊んだものです。
 水が豊かでしたのでところどころに大きな青いふちがありました。
小さな子どもたちはふちの浅い所で、大きな子どもは深い所で水あべをします。

 水あべのなかでたいへん危険な遊びですが、男の子どもが好んでやったのが彼のりでした。
彼のりというのは、二百メートルくらいの上流から、次々と波にのって泳いで下ることですが、大きな
波は一メートルくらいもありました。
ですから、うまく波にのらないと、からだごと波にのまれてしまいます。
ときには波をかぶっている岩で足をすりむいたり、腹をこすってけがをした者もいました。
いまの親たちが見たら目を回すと思いますが、昔のお父さんやお母さんは、子どものとき同じようなこ
とをやって大きくなってきたので、あまりうるさいことは言いませんでしたが、きっと心のなかでハラ
ハラして見ていたと思います。

 

  サシバスケート

冬になると、山の子どもたちの楽しみはスケートでした。
このスケート場も、子どもたちがみんなで作ります。

前の晩、なるべく日あたりの悪い山のたんぼに水をつけ込んでおくと、朝には氷がはってすべれるよう
になります。
 そのころはスケートぐつなんかありませんから、げたをはいて氷の上をすべりました。
このスケートに使うげたはサシバになっていて、普通のげたより高く、はがへると取りかえるようにな
っています。遠山谷ではサシげたと呼んでおりました。

 スケートのすべり方ですが、だ力をつけて直線に氷の上をすべる、ごくかんたんなものです。
でも、子どもたちにはとても楽しい冬の遊びでした。

 

  地ばちとり

遠山では地ばちのことを、なぜかカナバイと言います。
昔の子どもは山を駆け回ったため、地ばちとりもなかなか上手でした。

まず小川から蛙をつかまえてきて、皮をはぎとります。
そして肉を細くさき、白いまわたで肉にしるしをつけておきます。
 やがて肉の匂をかぎつけたカナバイが盛んにやってきて、肉のきれはしをくわえると、巣に帰るため
舞いあがります。
子どもたちは、この白いまわたを見のがさないようカナバイのあとを追いかけます。
 でもこれはたいへんなことでした。
野バラにさされたり、石やツルにつまずいたりしてけがもしました。
こんなに苦労
しても、はちの姿を見失ってしまう方が多いのですが、うまくいくとはちの巣を見つける
ことができます。はちは自分の巣のある場所にくると、すっと地上に下ります。

 はちの入った土のなかにカナバイの巣があります。
巣を見つけても、子どもたちは仲間以外のものには絶対ひみつにしておきます。

 いよいよ秋になると、カナバイ取りに山に登るのです。
はちを弱らせるために、いまのように花火なんかないので、多くの場合セルロイドをよく使いました。
はちの巣があるあなに、セルロイドに火をつけて差し込んでいぶすのです。
カナバイが弱ったところで土をトンガで掘り起すのですが、まだ元気なはちがいて、よく子どもたちは
さされました。
とってきたはちの子は、巣からていねいに抜き出して、いり鍋でいりつけて食べました。

 

  手づくりの笛

昔の子どもは、よく笛も自分で作って吹きました。
遠山では麦が大切な主食でしたので、昔はどこの家でも麦をたくさん作っていました。
麦は前の年の十月の半ばころまきます。
そして冬を越し、春になるとすくすくとのびはじめます。

 麦が穂をつけるのは五月ですが、このなかに黒穂というのがあります。
この穂は病気にかかったもので、実をつけない麦ですので、農家では抜きとって捨ててしまいます。
子どもたちは、この黒穂を約十センチくらいに切り、割れ目を入れて笛を作ります。
口にあてて吹くと、ピーピーと鳴ります。

 また、ソソヤケ笛というのもよく作って吹きました。
この草は、八月のお盆のとき仏花としてよく使う草で、若いくきに傷をつけると黄色の汁を出します。
学名はタケニクサと言います。
秋になると葉が落ちて、かっ色のくきだけとなります。
これを切りとって、ちょうど尺八のような笛を作ります。
これも口にあてて吹くと、ホラガイのようにボーボーと鳴りました。
そのほかお茶の葉だとか、南天の葉なども摘んで、みんなで草笛を吹いて
遊びました。

 

  アワコ取り

春になって川の水がぬるむころ、子どもたちの楽しみはアワコを取ることでした。
アワコというのは、カジカのたまごのことです。
まだこの時期は、かわらを吹く風も冷たいが、カジカのいそうな小石をめくってはアワコをさがしました。
いま、遠山川ではカジカがほとんどいなくなったので、アワコも見ることができませんが、その時分は川
にはたくさんカジカがいたし、よくアワコが見つかりました。

 カジカはあまり泳がない魚で、たいていは石の下にすんでいます。
たまごをうむ時期になると、めすカジカは少し浮いた石に黄色のきれいなたまごをうみつけるのです。
アワコはアメノウオ釣りには、えさとして最高ですので、アワコは子どもたちの小づかいかせぎにもなり
ました。

 

  こんにゃくさし

昔は、こんにゃくいもをうすく切って「きりぼし」というのを作りました。
はたけから掘ったいもを大きな桶に入れてよく水で洗い、土や根を除き、日に干しておきます。
「きりぼし」を作るには、こんにゃくいもを特別に作ったカンナのようなものでうすく切ります。
大工さんのカンナは前に引きますが、これは逆に向こうに押していもを切ります。

 この切ったいもをくしにさすのが子どもたちの仕事でした。
くしの長さは約一メートルくらいで、このくしに指二本くらいの間かくをおいて切ったこんにゃくをさし
ます。 こんにゃくをさすと一本一厘で、十本さすと一銭になりました。
こんにゃくをいじると、指がとてもかゆくていやですが、お金がとれることが子どもたちにはとてもみり
ょくでした。慣れた子どもになると、一晩で百本もさす子もいました。

 こんにゃくの「きりぼし」は、軒の下とかはたけに台をつくって、その上に並らべて干します。
寒い風が吹くころでないと「きりぼし」が白く仕上がらないので、だいたい十一月ころから行われました。
数人の子どもたちが、いろりのぐるわであらそってこんにゃくをさしたものです。

 さし賃は十二月の霜月祭に間に合うように支払うのがきまりでした。
一本一厘でもちりもつもれば山となるで、たくさん取る子どもは五十銭にもなりました。
このなかから子どもがもらうおこずかいは十銭くらいで、あとは親たちが使いましたが、そのころは十銭
もあれば、お祭の露店で子どもたちがほしいと思っていたおもちゃのピストルや、カンシャク玉も手に入
りました。べっこうあめも買えました。
昔は、どこの家もびんぼうでしたので、このようにして子どもたちはおこずかいをつくり、親の手だすけ
をしたものです。


 いくつかの昔の子どもの暮らし、遊びについて書いてみました。
世の中が変わるにつれて、子どもたちの暮らしも、そして遊びも大きく変りました。
それはあたり前と言えばそれまでですが、何かいまの子どもはかわいそうに思えてならないのです。
親や人から与えてもらうだけで、作ることの喜びを知らない子どもたち、果してそれが子どもたちにとって
しあわせなのか、そんな気がしてなりません。


 昔の村の暮らし